答案作成の節約法と法律解釈の仕方

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憲法演習ノート7.出たかった卒業式

 

 

第1 問1(以下、憲法は法令名省略)

1 卒業式に来賓として出席する際に、国歌斉唱時に起立することを誓約するという誓約書を書かせられることは、Xの「思想及び良心の自由」(19条)を侵害するものであり、誓約書を提出しなかったために卒業式に出席できないとする、Y市の施設における教職員による国歌の斉唱等に関する条例(以下、「本件条例」という)3条および5条2項1は、違憲違法であると主張する。

2 まず、本件条例は、後述のとおり、Xが国歌斉唱時に起立しない自由(以下、「本件自由」という)を制約している。

3 また、19条は、20条、21条、23条に対する一般規定ということができるから、「思想及び良心」の内容も、学問・信仰とこれに準じる世界観、思想のようなある程度確固とした信条をその内容としりというべきであるところ、Xは卒業式における国歌斉唱時に起立斉唱行為を拒否する理由について、「日の丸」君が代は戦前の日本の軍国主義アジア諸国への侵略戦争のシンボルであり、敬意を表すべき対象でないという強固な歴史観ないし世界観をXが有しており、起立斉唱を式典で強制されることは、元教師として許されないという考えを有しており、これは、X自身の歴史観ないし世界観から生じる社会生活上ないし教育上の信念ということができる。

よって、本件自由は「思想及び良心の自由」の一環として、19条により保障される。 

4 「思想及び良心の自由」は、内心にとどまる限りは絶対無制約であるところ

人の内心と外部的行為の密接関連性に鑑み、かかる内心に反する外部的行為の強制がXの内心の核心部分を直接否定するような態様ないし、その性質・効果等に照らしてそれと同様の作用を及ぼす態様であれば、「思想及び良心」の自由を直接的に制約することになる。

そして、国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、その性質から見て、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものであり、Xに対して上記の起立斉唱行為を求める本件条例3条および5条2項1号は、上記世界観ないし歴史観それ自体を否定するものというべきである。 

また、上記起立斉唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものである。

よって、本件条例3条および5条2項1号は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものであるとともに、特定の思想の有無について告白することを強要するものというべきであり、「思想及び良心」の自由を直接的に制約するものである

5 また、仮に本件条例3条及び5条2項1号が、Xの「思想及び良心の自由」を間接的に制約するに過ぎないとして、思想及び良心」の自由は全ての精神的自由の基礎であることに鑑みれば、その審査は、いわゆる厳格な基準によってなされるべきである。具体的には本件条例3条により、起立斉唱を強制できるのは同1条の目的から鑑みて、式典の運営上

明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見される場合に限られる。しかし、起立斉唱行為を行わなくとも、式典自体は円滑に進行するものであるから、本件条例3条による強制を行わなくても、式典の運営上、明らかに差し迫った危険が具体的に予見されるとはいえない。

6 以上より、本件条例3条及び5条2項1項は、Xの「思想及び良心」の自由を侵害するものであり、起立斉唱を制約しないことにより卒業式に出席することができなかったことは違憲違法である。

第2 問2

1 これに対して、被告のY市としては、国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結びつくものとはいえず、また、起立斉唱行為は、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、本件条例3条は個人の「思想及び良心の自由」を直ちに制約するものでなく、合憲である。

また、起立斉唱行為については、来賓のみならず、式典に参加する生徒・保護者ならびに教員にも通常想定される期待であって、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為とまではいえないから、間接的な制約ともならない。

仮に制約があったとしても、間接的な制約に過ぎない以上、その審査にあたっては、本件条例3条による起立斉唱の強制の目的及び内容ならびに上記の制約の態様等を総合衡量して、上記制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から決する。

これについてのあてはめは後述の私見に譲るものとし本件条例3条及び5条2項1号ならびにこれにしたがってなされたXに対する処分は合憲であり、適法である。

2 以上に基づき、以下私見を詳述する。

(1)まず、本件起立斉唱の要請が、Xの「思想及び良心の自由」を直接的に制約するものか否かが問題となる。

本件起立斉唱の要請が行われた当時、高等学校の卒業式の式典において、国旗としての「日の丸」の掲揚及び国家としての「君が代の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって、学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるというべきである。

したがって、起立斉唱行為は、その性質から見て、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結びつくものとはいえず、Xに対して起立斉唱行為を求める本件条例3条は上記歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。

また、起立斉唱行為は、特定の思想を持つことへの強制又はこれに反する思想の表明を禁止として外部から認識されるものと評価することは困難である。

そうすると、本件起立斉唱行為の要請は、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものとはいえない。

(2)次に、本件起立斉唱行為の要請が、Xの「思想及び良心」の自由に間接付随的な制約にあたるか。

起立斉唱行為は、一般的、客観的に見ても、国旗及び国家に対する敬意の表明の要素を含む行為である。そうすると、自らの世界観ないし歴史観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」「君が代に対して敬意を表明することは応じ難いと考える者が、これにたいする敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その者の想及び良心の自由についての間接的な制約となることがあるのは否定し難い。

(3)そこで、本件条例3条による起立斉唱行為の要請がXの思想及び良心の自由を侵害するか否か。

個人の歴史観ないし世界観は多種多様なものがありうるし、それが

内心にとどまらず、それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ当該外部的行為が社会一般の規範などと抵触する場合は制限を受けることがあるところ、その制限が必要かつ合理的ものである場合には、その制限を介して生じる間接的な制約も許容されるというべきである。

本件では、本件条例3条及び5条2項1号による、起立斉唱行為の要請ならびにこれを拒否したことによって、卒業式に出席できなかったことは、起立斉唱行為の要請に関しては記述の通りXの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから、そのような敬意の表明には応じ難いと考えるXにとって、その歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為となるものでる。これに照らすと、この限りにおいて、Xの思想及び良心の自由を間接的に制約する面もある 

他方で、学校の卒業式や入学式という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、その主役たる生徒等への配慮を含め、教育上の行事に相応しい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要である。本件条例は、行事を厳かな雰囲気のもとで適切に遂行する」ことも掲げており、これによって、国旗国家にたいし正しい認識を持たせることで、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うことを目的としている。

(また、国歌斉唱時に起立しないことで、逆に周囲から好奇の目を寄せられ、行事の厳かな雰囲気を破壊するおそれがあるし生徒が主役である式典において、脇役である来賓が、式典の円滑な進行を妨げるともいうことができる。 

このような事情を鑑みるに、本件条例3条及び5条2項1号による、起立斉唱行為の要請ならびにこれを拒否したことによって、卒業式に出席できなかったことは、元教員で来賓として招こうとしたXに対して、当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱時に起立斉唱行為を求めるもので、高等学校の教育目標や、卒業式等の儀礼的行事の意義在り方等を定めた本件条例を含めた関連法令等の諸規定にの趣旨に従い、生徒への配慮を含め教育上の行事に相応しい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものである。

よって、本件条例3条及び5条2項1号による、起立斉唱行為の要請ならびにこれを拒否したことによって、卒業式に出席できなかったことは、必要かつ合理的なものであるということができる。

3 結論

以上より、本件条例3条及び5条2項1号による、起立斉唱行為の要請ならびにこれを拒否したことによって、卒業式に出席できなかったことは、Xの思想及び良心の自由を侵害するものではなく、合憲・適法である。

 

以上